確かに、人生は山登りみたいなものかもしれない
山登りはいろいろ思案するにはいい時間でした。
その時、考えたことをいろいろまとめたいと思います。
人生は山登りみたいなもの
人生という長い道のりを山登りに例える人は、絶対います。私自身、そう思いました。
人生は山登りに例えられるような気がする:人生に役立つイイ話:So-netブログ
やっぱり、いました。アイデアとしては既出ではありますが、私なりに書いてみようと思います。
1.諦めたら、頂上には行けない
磐梯山を登り始めて、最初。地獄破りの坂がありました。
スキージャンプの滑走路の傾斜を更に急にした感じです。それを登ります。
序盤ですが、本当にきつくて、途中何度も休憩をはさみながら、登って行きました。何も荷物をもたなくても、辛い上り坂なのに、荷物も多く持っていたため、後ろに重心がかかり、倍負荷が掛かります。
山登る前は、意気揚々としていたのですが、
体力もねぇ、筋肉もねぇ、ついでにたっぷり脂肪ある、おら山さ登るだ~おら山さ登るだ~
と思ったら、最初の坂で、
「もう、景色見たから帰りてぇ~(;ω;)」
と考えるんですよ。山に絶望、自分に絶望。
でも、やめたいと思うなか、諦めないで何とか登る。
登るからこそ、普段の生活では見られない景色を見ることができる権利をもらえるのです。
この景色を生で見ることができるのは、自分の足で山を登った人だけなんです。
2.歩く道、全てが上り坂とは限らない。
そんな序盤の地獄坂を登り切ると、平坦な道、やや上り坂な道が続きました。
わたしは、最初の地獄坂がずーっと続くものだと思っていました。しかし、そうではありませんでした。大きな山を登り切るためには、きつい上り坂だけではなく平坦な道、尾根を歩んでゆくことが一番の近道なんだと思いました。
最短距離で、人生の目標を達成させようとしても、やはりどこかで無理が生じてしまう。手前の山をある程度登り、休み休み進んで行かないと、降りることもままならないし、目標とする頂上に行けなくなります。
人生においても近道はない、地道ではあるが遠回りをした道程こそが目標への一番の近道である。
とても、強く感じました。
3.見上げると嫌になるし、見下ろすと楽になる。
頂上を見ると、自分は本当にその頂上へ着くことができるのだろうか?と不安になります。また、見下ろすと自分はここまで来たんだと、心の中で自慢をしたくなります。
人は、他者を通して比較することで自分の立ち位置を決めてしまいがちです。自分の目標(頂上)へ、登り切るためにはできるだけ登るための道を見続けなければなりません。でも、頂上を見てしまうと、本当に登れるか不安になります。だから、頂上も見ては行けないのです。
ただ、真っ直ぐ目の前を見る。そして、頂上に着くと信じて登り続けるしか無いんです。
不安になることは多くありますが、それでも自分の決めた人生は歩み続けなければならないですよね。
4.一人では登れない。
今回、体力が無いなか、山登りを敢行しましたが、多分一人では登れなかったでしょう。友人が、私とともに歩んでくれたから、自分は山を登ることができ、美しい景色を見ることが出来ました。
一人は、孤独です。孤独だと、何を信じればいいのか見えなくなります。道は明るくても、心は暗いものなっていたでしょう。
目標に向かって頑張るときは、誰かと一緒に歩んで行く。それが、最高のエンジンになるのだと思いました。
5.頂上は気持ちのいいものだ。
登った時、4時間近く経過していました。疲れはありましたが、満足感が半端じゃなかったです。
自分の足でたどり着いた時、何にも代えがたい高揚感がありました。
この高揚感があるから、人はまた山を登るのだろうな、と思いました。
6.空腹時の飯は旨い
その夜、会津でソースカツ丼を食べました。ちょー旨いんですよ。生きてる実感をすごくしました。
また、こんな夕食を食べたいものです。
以上です。読んでいただきありがとうございました。
でわでわ~:)